ミニモニシティ 


モームス市は地方都市ですが近年の発展は目ざましいものがあります。 モームス市の中心商業地区はプッチモニ地区で、老舗の後藤屋を中心に、 婦人服と食料品で有名な保田百貨店、有名ブランドを多く集めていることが強みの吉澤百貨店の3つのデパート があります。

吉澤百貨店 保田百貨店 後藤屋 < わが世の春ね

一方、すっかり寂れてしまったのが古くからの商人の町であるミニモニ地区です。 中心の辻商店街は昔はたいへん栄えていたのですが、現在は閑古鳥が鳴いています。モームス市の発展とともにプッチモニ地区に客を奪われていったのです。

辻商店街 < はぁ〜、おきゃくさんがこないのれす   

商店街の辻代表は憂鬱な毎日を送っていました。そして、ついにおそれていたときがきました。 都市再開発の一環として、ミニモニ地区にあった工場跡地に、 強大な資本力をもつ矢口=加護グループが大商業施設をつくることになったのです。 辻代表はもうこの商店街は終わりだとおもいました。

矢口 加護 < やぐちさ〜ん、たこ焼きの店も出しましょう

辻代表 < はぁ〜、うつなのれす、もうおわったのれす

そして超巨大商業施設「ミニモニシティ」が誕生しました。 ミニモニ地区の誰もが、辻商店街のパイ(利益・市場)はぜんぶこの新参者にもっていかれてしまう とおもいました。辻商店街は20世紀とともに去っていくかとおもわれました。 ところが、ちがったのです。ミニモニシティができたその年、 商店街の売上は前年比で50%も増加したのです!

どうしてでしょう。 実は、(まず運がいいことに)ミニモニシティの最寄りの駅からミニモニシティに行くには、辻商店街を通らなければいけなかったのです。 ミニモニシティの多くの客が行き帰りに、辻商店街で和菓子や人形、呉服を買っていきました。ですが、もっと大きい目で見ると、矢口=加護シティの進出でミニモニ地区全体の魅力が高まり、その結果、地区全体のパイが大きくなったということです。

ゲーム理論ではまず、事象がどんなゲームであるかということを把握しなければいけません。辻商店街の人たちは最初、ミニモニシティを競争相手としか考えていませんでした。しかし、 ミニモニシティは辻商店街の補完的生産者でもあったのです。( 同時に辻商店街もミニモニシティの補完的生産者になります。) パイを作り出すということにおいては、辻商店街とミニモニシティは競争関係ではなく、 補完的関係、協力関係なのです。このゲームではミニモニ地区のすべてが勝者になりました。 そしてまた、そういうゲームだったのです。

一方、ターミナルであぐらをかいていたプッチモニ地区はどうなったのでしょう。 ミニモニ地区に客を奪われたので、プッチモニの3つのデパートはあらゆる合理化の努力をしました。結局、プッチモニ地区、ミニモニ地区をあわせて モームス市全体の魅力が高まり、他の都市あるいは海外からの観光客が増えました。 モームス市は今ではアジアで最も魅力的なまちとして 発展を続けています。

辻代表 < まずはパイをつくるのれす


◆補完財

パンとバターのような関係を補完財といいます。 パンの需要が伸びるとバターの需要も伸びるからです。 補完財はあげるときりがありません。 コーヒーとクリーム、ハードウェアとソフトウェア、 ウィンドウズとインテル、・・・。 管理人も経済学の授業で習ったのですが、だから何だ?というかんじでした。 そのときはゲーム理論の視点がなかったからむりもありません。 ゲーム理論という戦略的な視点をいれると、それが非常に重要な概念であることがわかります。

◆敵か味方か

同じ相手が敵にもなり味方にもなります。 だから、ゲームをしている相手のプレーヤーをただ敵だ、味方だと決めつけてはいけないのです。パイを分け合うときは敵になりますが、パイを作るときは味方なのです。 状況によって、相手のプレーヤーがどっちの役割を果たすかが変わるので、それを考えなければいけません。

◆ある新聞記事です。ダイエーとユニクロは 低価格の衣料品ではライバル関係にあります。 でもここでは互いに強い味方になっています。 ダイエーと辻商店街は似ていますね。

2001/04/06
<ユニクロ効果でダイエー売上増>

経営再建中の大手スーパー、ダイエーの高木邦夫社長は5日、カジュアル衣料品店「ユニクロ」が入ったダイエー金沢八景店(横浜市)について「3月の売り上げが前年比で3割伸びており、ユニクロの集客力の効果が相乗的に出ている」と評価した。ユニクロは3月に、ダイエー屋島店(高松市)とグルメシティ下北沢店(東京)に店舗を構えたほか、ダイエー系の店舗数ヵ所と出店交渉をしているという。

◆参考文献

  • 『コーペティション経営―ゲーム論がビジネスを変える』 
    バリー・J・ネイルバフ、アダム・M・ブランデンバーガー、日本経済新聞社、1997年
    CO-OPETITION (1997)