コースの定理


ピグーのやり方に真っ向から反対したのが アメリカ人の「法学者」 R.H.コースです。 コースはこの問題で課税(政府の介入)が必ずしも必要でないこと を示しました。

いまぶりんこはQeを生産しています。生産者余剰はA+C+D、外部性はB+C+Dで 社会的余剰は差し引きA-Bです。

たとえばマリ先生 マリ先生 がぶりんこ あいぼんののたん に 「D+0.5B だけ払うから生産をQoまで減らして」と頼むとしましょう。 するとぶりんこはこれを了承するとおもわれます。 なぜならQoまで生産を減らすことで失われる余剰はDだけです。差し引き0.5Bだけ儲かります。 いっぽうのマリ先生は生産をQoまで 減らしてもらうと D+B だけダメージが減ります。D+0.5B を払って D+B のダメージを減らせれば差し引き0.5Bだけ 改善することになります。 お互いに合意するインセンティブがあります。 交渉は成立するとおもわれます。

ぶりんこはQoを生産します。 このときの社会的余剰を計算してみましょう。 ぶりんこの得たパイの大きさは 生産者余剰 A+C に「謝礼」 D+0.5B を加えた A+0.5B+C+D になります。 ヤグチ医院のロスは 外部費用Cに謝礼分 D+0.5B を加えた 0.5B+C+D になります。 したがって社会的余剰は (A+0.5B+C+D) - (0.5B+C+D) = A になります。

社会的余剰の大きさは ピグー税のときと変わりません。 こうして 政府が介入しなくても、 当事者の自発的な交渉によって同じ効率的な結果が出せることがわかります。


◆パイの分配

このケースではマリ先生の提示の仕方は他にもたくさんあります。 じっさいこれはBというパイを分割する方法の数だけあります。 ぶりんこはDだけの提示があれば 受け入れることと断ることは無差別になります。 あるいはマリ先生は D+B まで提示するメリットがあります。

◆同じ効率的な結果

これまでわれわれが関心を抱いてきたのは つねに「全体のパイの大きさ」ということでした。 (そしてこれからも)。 その意味で同じ結果ということです。 もちろんぶりんことヤグチ医院を個別に見た場合は 「違う結果」が出ています。 ピグー税と比較すると、ヤグチ医院に不利な、 ぶりんこに有利な結果となっています。

◆交渉方法

交渉のやり方はいろいろあります。

いまマリ先生はぶりんこに <1単位生産を減らすごとにdだけ謝礼を渡す>と提案したとしましょう。 するとぶりんこは Qoをこえて生産するインセンティブがなくなります。 なぜならQoをこえると1単位につき 余剰はd以下になり、 かわりに謝礼をもらったほうがトクになるからです。 ぶりんこはQoを生産します。

社会的余剰を計算しましょう。 ぶりんこの得たパイの大きさは 生産者余剰 A+C に謝礼分 B+D を加えた A+B+C+D です。 ヤグチ医院のロスは外部費用Cに謝礼分 B+D を加えた B+C+D です。 これらを差し引きして社会的余剰はAになります。 やはりピグー税と同じ効率的な結果になります。

◆取引費用

交渉をしたり契約をちゃんと守らせるコスト のことを経済学では取引費用(Transaction Cost)といいます。

今回見た交渉による解決法では この取引費用がゼロであると仮定しています。 ぶりんことヤグチ医院は 隣り合っているし、1対1なので交渉のコストもそれほどかからないだろう という想定です。

◆レッセ・フェール

外部性の存在は政府の介入する根拠になりやすいです。 しかしコースの方法は、 全体の観点で見た場合、ピグー税とまったく同じ結果を出しています。 したがってもし政府が全体の観点から判断して 介入してくるということであれば、 それは無用だということになります。 政府は全体の効率ということ以外の理由から 介入してくるしかありません。

さてこのコースの方法は 「人々の自由な交渉(交換)に任せておけば 全体で効率的になる」 ということをいっています。 これはレッセ・フェール(自由放任主義)の 基本的な考え方そのものです。 コースのすごいところは 経済学者よりも このレッセ・フェールのアイデアを 貫徹したということです。

コースの考え方がいかにインパクトがあったかということは 下記の David Friedman の文章に生き生きと描かれています。

"That view of externalities, originally due to Pigou, was almost universally accepted by economists until one evening in 1960, when a British economist named Ronald Coase came to the University of Chicago to deliver a paper. He spent the evening at the house of Aaron Director, the founding editor of the Journal of Law and Economics. Counting Coase, fourteen economists were present, three of them future Nobel Prize winners.

When the evening started, thirteen of them supported the conventional view of externalities described above. When the evening ended, none of them did. Coase had persuaded them that Pigou's analysis was wrong, not in one way but in three. The existence of externalities does not necessarily lead to an inefficient result. Pigouvian taxes do not in general lead to the efficient result. Third, and most important, the problem is not really externalities at all. It is transaction costs." (David D. Friedman, Law's Order, Chap.4 より)

要約すると、1960年のある日シカゴ大学にコースが来た。 論文発表の場には14人が出席した。 会合が始まる前、コースを除く13人は皆ピグー を支持していた。 しかし会合が終わった頃には 誰もピグーを支持しなくなっていた、ということです。


◆参考文献
Steven E. Landsburg, PRICE THEORY AND APPLICATIONS
David D. Friedman, LAW'S ORDER
ロナルド・H・コース『企業・市場・法』

◆参考サイト
The World According to Coase
http://www.daviddfriedman.com/Academic/Coase_World.html