コースの主張は産業全体の外部性問題にもあてはまります。
いまある地域とその地域特有の産業について考えます。
周辺住民はその工場群の不快な煙によって
ダメージを被っています。
産業全体の限界費用曲線(供給曲線)はMCP(=S)、
外部費用を含めた社会的な限界費用曲線はMCSで
表されます。
何も課税されない場合、生産量はQeで、社会的余剰は
消費者余剰 A+B+C+D と
生産者余剰 F+G+H の和から
煙によるダメージ C+D+E+G+H を引いた A+B+F-E になります。
ピグー税dが課されると、生産量はQoになり、社会的余剰は
消費者余剰Aと
生産者余剰 B+F と税収 C+G の和から
煙によるダメージ C+G を引いた A+B+F になります。
そこでコースの主張はつぎのようなことです。
(1) 取引費用がかからない場合、交渉によって社会的に望ましい点(Qo)が達成できる。
つまりピグー税(政府の介入)は不必要である。
(2) Qoに生産を減らすより
よい方法があるかもしれない。
工場は煙の排出をゼロにする設備を導入できるかもしれない。
この場合社会的余剰は A+B+C+D+F+G+H からその設備のコストを引いたものである。
これは A+B+F より大きいかもしれない。
(設備のコストが C+D+G+H より安ければピグー税は間違っている。)
◆Coase + Pigou
取引費用がかからない場合、
ピグー税は不必要どころか有害になることがあります。
いま産業が1単位生産を減らすごとにdだけ
周辺住民が謝礼を払うとします。
すると産業全体では
Qoをこえて生産するインセンティブがありません。
Hの分をパイをとるより E+D+H の謝礼をとったほうがいいからです。
生産量はQoになります。
ではここで課税したらどうなるでしょう。
Qoより生産量が減ることになります。
こんどは過少生産になります。
社会的余剰は減ります。
二重のインセンティブが与えられて
行きすぎになってしまうのです。
Coase + Pigou is Too Much なのです。
(ここでは税収が周辺住民に行かない、どこかよそに行くと仮定しています。
補償されると謝礼を出すインセンティブがなくなるからです。)
◆取引費用
さて周辺住民が謝礼を払うと
簡単に述べましたが
じっさいは
多くの企業と多くの住民の間で交渉をすることは
むずかしいです。
ぶりんこ製菓と(隣り合う)ヤグチ医院の1対1のケースでは
取引費用がゼロであると仮定してもさほど無理はなかったですが、
今回のように広がりのある多対多のケースでは
無理があります。
しかしそこでコースの主張を退けるのは間違っています。
コースの主張の真価は、
この手の問題の本質がいつも取引費用にある
ことを明らかにしたということなのです。
つまり「取引費用が大きいから問題が発生しているのだ」
とわれわれは考えることができるようになったのです。
そしてこれは同時に「ピグーの方法は取引費用が大きいときにのみ
あてはまるのだ」
とピグー税を相対化したことを
意味するのです。
◆参考文献
Steven E. Landsburg, PRICE THEORY AND APPLICATIONS
David D. Friedman, LAW'S ORDER
ロナルド・H・コース『企業・市場・法』
|