コースの定理3


コースの主張は産業全体の外部性問題にもあてはまります。

いまある地域とその地域特有の産業について考えます。 周辺住民はその工場群の不快な煙によって ダメージを被っています。

産業全体の限界費用曲線(供給曲線)はMCP(=S)、 外部費用を含めた社会的な限界費用曲線はMCSで 表されます。

何も課税されない場合、生産量はQeで、社会的余剰は 消費者余剰 A+B+C+D と 生産者余剰 F+G+H の和から 煙によるダメージ C+D+E+G+H を引いた A+B+F-E になります。

ピグー税dが課されると、生産量はQoになり、社会的余剰は 消費者余剰Aと 生産者余剰 B+F と税収 C+G の和から 煙によるダメージ C+G を引いた A+B+F になります。

そこでコースの主張はつぎのようなことです。

(1) 取引費用がかからない場合、交渉によって社会的に望ましい点(Qo)が達成できる。 つまりピグー税(政府の介入)は不必要である。

(2) Qoに生産を減らすより よい方法があるかもしれない。 工場は煙の排出をゼロにする設備を導入できるかもしれない。 この場合社会的余剰は A+B+C+D+F+G+H からその設備のコストを引いたものである。 これは A+B+F より大きいかもしれない。 (設備のコストが C+D+G+H より安ければピグー税は間違っている。)


◆Coase + Pigou

取引費用がかからない場合、 ピグー税は不必要どころか有害になることがあります。

いま産業が1単位生産を減らすごとにdだけ 周辺住民が謝礼を払うとします。 すると産業全体では Qoをこえて生産するインセンティブがありません。 Hの分をパイをとるより E+D+H の謝礼をとったほうがいいからです。 生産量はQoになります。

ではここで課税したらどうなるでしょう。 Qoより生産量が減ることになります。 こんどは過少生産になります。 社会的余剰は減ります。 二重のインセンティブが与えられて 行きすぎになってしまうのです。 Coase + Pigou is Too Much なのです。

(ここでは税収が周辺住民に行かない、どこかよそに行くと仮定しています。 補償されると謝礼を出すインセンティブがなくなるからです。)

◆取引費用

さて周辺住民が謝礼を払うと 簡単に述べましたが じっさいは 多くの企業と多くの住民の間で交渉をすることは むずかしいです。

ぶりんこ製菓と(隣り合う)ヤグチ医院の1対1のケースでは 取引費用がゼロであると仮定してもさほど無理はなかったですが、 今回のように広がりのある多対多のケースでは 無理があります。

しかしそこでコースの主張を退けるのは間違っています。 コースの主張の真価は、 この手の問題の本質がいつも取引費用にある ことを明らかにしたということなのです。 つまり「取引費用が大きいから問題が発生しているのだ」 とわれわれは考えることができるようになったのです。 そしてこれは同時に「ピグーの方法は取引費用が大きいときにのみ あてはまるのだ」 とピグー税を相対化したことを 意味するのです。


◆参考文献
Steven E. Landsburg, PRICE THEORY AND APPLICATIONS
David D. Friedman, LAW'S ORDER
ロナルド・H・コース『企業・市場・法』